「がん」がどうやって発覚したのか?②

こんにちは。大塚亜希子です。
私の場合、どのように
「がん」が発覚したのか、
続きをお伝えしていきます。

1番目を読んでいない方は
こちらからぜひお読みください。

異型度が高い??

近所の病院で
大腸内視鏡検査検査を
受けました。

結果は医師から
「異型度が高いので、
早めに大きな病院へ
行ってください」と
言われました。

広尾にある
日赤医療センターの
消化器内科へ紹介状を
書いてもらい、
翌日行きました。

医師からも
「がん」という言葉は
出ませんでした。
割と軽い気持ちで
異型度が高いことも
あまりピンとこなく、
とりあえず、
病院へ行きました。

ある細胞の形が正常な細胞とどのくらい異なっているかを示す度合いのことです。正常であれば同じような形の細胞が整然と並んでいますが、がん細胞やその前の段階の細胞は形がゆがんでいたり、細胞内の核が大きくなっていたりします。このような細胞の「顔つき」の違いを異型度と呼び、がん細胞の悪性度の目安としています。一般に腫瘍の悪性度(ふえやすさ、広がりやすさ)に関連しています

引用:https://ganjoho.jp/public/index.html

採血の項目に、大腸がんの指標があった。

消化器内科の医師は、
私の紹介状をみると
ちょっと焦り気味に
「大塚さん、今日は
採血とCTとりましょう」
と言われました。

午後から仕事があるので、
CTは後日にと伝えると、
「駄目です」と言われました😅

栄養療法のクリニックで
仕事していたため、
採血の項目には興味がありました。

採血の項目を確認すると、
「CEA」「CA19-9」
という文字が見えました。
癌の指標になる項目が
入っていたため、
ショックを受けました。

知るということは怖いことでもある

先生からは、
まだ、確定したわけじゃない。
念のため。と言われました。

正直なところ、
「がん」が分かるくらいなら、
診断されないで
逃げ出したいと思っていました。
なので「大きな病気」を
怖がって、診察や検査を
受けたくない人の気持ちも
よくわかりました。

何かの間違えかもしれない。
私は、痛いところもないし、
私、元気だし。。。と
自分に言い聞かせていました。

持っている本をページを開くたびに「大腸がん」の話題が

大きな病院は
かなり待ち時間があると思い
その当時、積読になっていた
物理学者の保江邦夫先生の本
2冊を持参していました。

この時まで
知らなかったのですが、
保江先生も
大腸がんのサバイバーです。

適当に本のページを
何度も開くと、
話題が「大腸がん」に
関することばかり。

催眠や超能力の本なのに。

その時の私は
「不吉だな。こわいなぁ」と
思っていました。

CTの造影剤でアナフィラキシーショックを起こす。

採血が終わり、
人生初のCTを撮影します。

造影剤を使用して
撮影することになり、
アナフィラキシーショックが
1000人に一人の割合で
起きることがあるといわれました。

いままで薬剤アレルギーもないし、
花粉症もないくらいなので、
まったく気にせずに受けました。

造影剤が体内に入ってきたときに、
のどが急激に締まるような
感覚がありました。
「あれ、なんかおかしい?」と
思いつつも、体が熱くなることが
あるときいていたので、
様子を見ていたら、
息ができなくなっていました。

 

CTから出てきて、
看護師さんの声掛けに
「苦しい」と伝えると
秒で救急の医師や
看護師が駆けつけてくださり、
太ももに注射を打ってもらい
呼吸が戻りました。

本当に命拾いしました。
(医療ドラマを見ているようでした)

その日は経過観察が必要なため
入院しました。

アナフィラキシーショックは
2度目が来ることもあるから
だそうです。

眠れない時間を
過ごすことになりましたが、
医師の友人が
夜メッセージをやり取りしてくれて
「大腸がんは、切ったら大丈夫!」
いっぱいいるよ~という言葉に、
安堵とともに、
強い抵抗感を持ちました。

私は「癌じゃない!」って
思いたかったのです

S状結腸がだいぶ分厚くなっている

消化器内科の医師より、
「CTの結果、
S状結腸がだいぶ
厚くなっているから
おそらく、それで、
腸閉塞に似た症状が
出たのかもしれない」と
言われました。

それだけだと、
まだ確定できないので、
翌朝、大腸内視鏡検査を
実施することになりました。

あっけない告知

下剤を使ったら、また、
S状結腸でつまり、腸閉塞を
起こす危険があるとのことで、
浣腸を使って腸の中を
空にしていきました。

これは結構しびれました・・・。

お尻にカメラが入ったまま、
私も一緒に映像を見ていました。

医師が二人で、映像を見ながら、
「がんで間違いないですね」と
会話していました。

「え?今なんて言いました?」
「大塚さん、がんです。」
「先生、今取れますか?」
「結構大きいので
ここでは無理です。」
という会話がありました。

あまりのショックに。
固まりました。

言われた直後は冷静でした。
そして、まだ、
お尻にカメラが
ささっている・・・(笑)

看護師さんが、私の肩を
トントンと優しく
さすってくれていました。

本当にまずい状況なのかも。と
ショックを受けました。

医師からは
「ご家族呼んでください。
ご家族が来るまでの間に、
手術に向けての検査を
スタートしましょう」と。

大腸内視鏡検査の部屋を出た後
文字通り、泣き崩れました。

夫が病院に到着した後は、
医師二人、看護師二人、
私たち二人の6人で
個室に入り、
詳しい説明を受けました。

私は、頭の中が真っ白で、
何を質問したかも
覚えていません。

「初期のがんではないです。
かなり進行してます。」

「ステージは1ではないです
2~4のどれかです。」

「リンパ節まで転移あります」

と一言一言を飲み込むのに
時間がかかりました。

正式な診断は、
週明けにとなりました。

7月の3連休直前の週末で、
ここまで不安に
押しつぶされそうな3日間は
今までの人生で
見当たりません。

3連休明けに
外科部長の医師から、
正式な診断が下りました。

「悪性腫瘍」と言われました。
私も「がん」になるんだ。。と
ただ絶望感を感じていました。

その時、思っていたこと。

☞親より、祖父母より早く死ねない。
そんなこと申し訳なさ過ぎる。

☞夫を悲しませたくない。

☞治療費どれくらい
かかるんだろう?

☞転移してたらどうしよう。

☞仕事はできるのか?

☞いつぐらいに何が起きて、
何に苦しむのだろう?

☞余命言われるのか?

☞なんで私が?

☞栄養カウンセラーなのに、
癌!最悪だ。私のバカ!

☞がんになってしまい申し訳ない。

などでした。

崩れ落ちたところを、
看護師さんが、
優しく慰めて
くださいました。

がん専門の看護師の方が
ついてくださりました。

悩んだり悲しんだりする暇もなく、医療のレールに乗る

「大腸がん」と
診断されたとたんに、
手術のための検査が
目白押しでした。
スケジュールも
どんどん組まれます。

他に治療法があるのか?
とか、考えたりする暇もなく、
追いついていない心は
そのままで、医療のレールに
乗せられていきます。

「私がどうしたいか?」を
考える暇もなかったです。

迅速に手術をしていただけるので
とてもありがたい反面、
頭の中と心を整理をする
時間や余裕がないことが
気になりました。

 

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